みんなが知らない!?「風神雷神図屏風」の秘密

こんにちは!

早速ですが、みなさんは俵屋宗達の「風神雷神図屏風」を知っていますか?

f:id:highbridge27:20180709221059j:plainこちらが、かの有名な「風神雷神図屏風」です。

私が初めてこの作品を目にしたのは、高校の修学旅行で京都へ行った時でした。この金屏風の美しさと、構図の「大胆さ」に心が惹かれたのをハッキリと覚えています。

この絵を見たことある!!という方は多いかもしれませんが、詳しくまで分かる方は少ないのではないでしょうか?今回はその「風神雷神図屏風」と、俵屋宗達の生きた時代を紹介したいと思います!

風神雷神図屏風」のルーツをたどる!

実は、宗達がこの絵を描く際に参考にしたと言われる作品があるんです。それが、「北野天神縁起絵巻」です。


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「北野天神縁起絵巻」との比較

そもそも、「北野天神縁起絵巻」とは一体何でしょうか。

菅原道真の生涯と、死後に京都で起こった数々の怪異などが描かれる。

菅原道真は優れた能力を持っており、学者出身の政治家として異例の出世を重ね、右大臣へと昇進するが、左大臣藤原時平によって大宰府に左遷され、失意のうちに亡くなる。道真の没後、平安京では時平の一門に不慮の災いがたて続けに起こる。清涼殿に落雷があり、これによる火災で死者が出てしまう。その後もさまざまな災いが起き、人々は道真の怨霊の祟りだと恐れる。そしてそれを鎮めるために道真を神として祀り、天神信仰が生まれていくというありさまが描かれる

まあ要するに、菅原道真が雷神になって朝廷を襲撃するという物語です。

そして先ほどの絵が、ちょうど雷神が朝廷を襲撃しているシーンですね。それを迎え撃つ藤原時平が左側に描かれています。

このシーンの雷神ですが、宗達の風神と比較してみると、

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左が宗達の風神で、右が天神縁起絵巻ですが、ポーズが非常によく似ています。宗達がこの作品を参考にして描いたことは明らかなのではないでしょうか?

しかし、違いもみられます。例えば顔の表情。天神縁起絵巻では険しく、人々に災いをもたらす怖い雷神が描かれていますが、宗達の風神の表情はどこか笑っていて、愉快な印象を受けます。

ではこの違いはどこからきたのでしょうか?

宗達の生きた時代

この疑問は、宗達の生きた時代について説明することで解決します。

宗達はおおよそ1580年から1620年にかけて生きていたとみられています。1600年にはあの関ヶ原の戦いも起こり、激動の時代を生きたということになります。

この時代は、「下剋上」の時代を経て、支配階級が没落し、庶民(武士)が台頭した時代です。人々に勢いがあり、自由で伸びやかな時代だったといえます。

さきほどの「愉快な風神」は、そのような大らかな時代の気色を反映して描かれたものなのではないでしょうか?

まとめ

以上のことをまとめると、宗達は過去の作品を参考にしながらも、その時代の気色を反映して、愉快で親しみやすい、従来とは全く異なる姿の風神雷神を描いたということになります。また、この作品は、「模倣から創造を導く」という宗達の独創性が現れた、彼の集大成といえる作品なのです!!

 この作品の大胆な構図も、この時代の気色が反映されたものだったのです。

私たちがこの作品を見て、その「大胆さ」に心が惹かれたとき、私たちは宗達の生きた時代」を感じているのですね。この作品を通して、かつての世を覗いているのです。数百年も昔の時代と私たちが繋がった瞬間です。